2ch閉鎖危機説について


 8月危機と呼ばれているんだろうか、2001年8月に生じた2chの「閉鎖危機」。次々に、唐突に消えていく板の群れを僕はリアルタイムで見ていた(…はず。少し記憶があいまいだ)。そしてその後の劇的な復興も。


http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%88%E5%8D%B1%E6%A9%9F


 あのとき、確かに僕は2chの閉鎖を強く憂いたはずだったし、主にUNIX板に集結したボランティア(本当にボランティアと呼ぶに値する人たちだったように思えた)の皆さんを心から応援したり尊敬したりした。しばらくして2ch専用ブラウザもインストールした。


 2003年から2004年にかけてくらいの時期だと思うけれど、そのあたりから2chが退屈な場所に思えるようになった。今では専用ブラウザもアンインストールしてしまい、何か特別に調べたい事案でもない限り、2chは見ていない。


 だからいまや僕は、2chがなくなっても構わない。OK。


 なくならないならなくならないで、それほどは困らない。OK。


 むしろもし無くなったら大量の2ch難民がきっと発生して日本語ウェブ界隈に大変な激変が起きたりしないかなあ、それはとても見てみたい光景だなあ、と、昔、「哭きの竜」という人が書いていて、今、僕はその気分に共感する。


 いっぽう、当のひろゆき氏も「その光景」を見たがっていたりして、それが法廷を無視し続ける理由のいくらかを占めていたりはしないだろうか、と妄想したりもする。なんたって彼は「メディアアーティスト」、だったんだし。



 追記:2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ[絵文録ことのは]2007/01/13について


 さしずめ僕は2001年までには「2ちゃんねるコミュニティー」に帰属し、その後2003年頃からそのコミュニティーを離れたということになるだろうか。個人的には、「2ちゃんねる型『正義』」の一番嫌いなところは、同調圧力によってたつところが大きいように感じられる点だ。反論に耳を貸そうという人が少なすぎるのだろうか。昔は、どんな祭りのさなかにも「とりあえず耳を貸す」人が、少数であるにせよいた、ように記憶する。僕の思い出が美化されているだけかもしれないけど。