戦車は最強!もうそれでいいじゃんか。


 なんか「戦車不要論」への反論記事が話題なんだけども(完結してないみたいなのでトラバはまだ打ちにくい気分)、読んでみるとけっこうな大部の記事で、でもそんなに文字数を重ねなくても戦車の有効性は主張できるんじゃないかな、と思う。


戦車という兵器の設計思想は、本来的に、というかほとんど定義として、要は下記のようなものだ。

  • あらゆる地上兵器を撃破できる(装甲を貫ける)砲を持ち、
  • あらゆる地上兵器よりも強固な装甲を持ち、
  • あらゆる地上兵器よりも速く、どんな場所でも走破できる


つまり一言でまとめるなら、

  • あらゆる地上兵器よりも有力な―――「強い」兵器


「そうなるように」基本的には設計されているものだ。それはかつての「戦艦」という兵器の考え方に似ている。あるいは、「戦闘機」もそうだ。


 戦車=地上戦最強!


 それこそが戦車の設計思想である以上、戦車をまったく持たない状況とは、敵が戦車を持ち出してきたとき、こちらがたいへんな不利に陥る状況に他ならない。だから戦車をまったく持たないわけには行かない。あるいは、何か他の「地上戦最強」兵器を構想しようとしても、結局は既存の戦車のような設計に落ち着くはずだ、ともいえる。設計コンセプトが同様で技術力に圧倒的な違いがない場合、同じようなものしか作れないんだから。対戦車火器は確かに「戦車を倒すことが可能」ではあるが、戦車もまた対戦車火器をよりたやすく撃破できる(装甲と機動力で劣る。また、実際には多くの場合、破壊力でも劣る)。そして、戦車を撃破するためにもっとも有効な兵器とは、同じ戦車に他ならない。


 で、それはもはや前提として、


 普通言われるような「戦車不要論」とは、既存の戦車に割り当てられた役割を一部他の兵器で代替できないか、とか、そういったものだと認識しているんだけどなあ。たとえば、「歩兵に砲撃のお手伝いをするのはでかい砲を積んだ装甲車で代替できないか?」とか。実際のところ、戦車はなんたって最強だから何でもそれで済ませば強いは強いが、とはいえ、欲しいままに戦車を買いまくれる軍隊というのもそうは無い。


 ってとこで、「では、現有の戦車の数量は戦略的に妥当な規模か?」ってな話に必ずなって、どの程度の数そろえるのがカネと生産力と戦闘力の兼ね合いから一番良さそうかってな話になって、そのなかで「戦車は相当少なくしちゃっても、他の兵器をもっと買う、ってのが一番効率が良いよ派」、みたいなのがいわゆる「戦車不要論者」なんじゃないのかなあ。こうなるともうドクトリンによって必要な数は変わるしテクニカルな話にもなるしで、なかなかおれみたいな素人の横好きには難しい議論だね。